原子力の将来: 日本


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核兵器や放射線漏えいの影響で「原子力アレルギー」と呼ばれる原子力反対派はいるものの、日本政府は早い時期から原子力の民生利用を支持してきた。直近では、福島第一原子力発電所事故とそれによって数千人が避難を余儀なくさせられた未曾有の災害に苦しんでいる。原子力事故による死者は発生しなかったものの、原子力の安全性に対する不安によって一時的に日本の原子力発電所は全基停止することとなった。

資源に乏しい日本にとって、原子力は産業用や家庭用の電力需要を満たす数少ないエネルギー選択肢の一つであり、原子力は準「国産」電源とみなされる。原子力が日本の将来においてどの程度の役割を果たすべきかについて政治家や国民の間で議論になっている一方で、今日政府は原子力計画を再び推し進めようとしている。

日本における原子力の歴史

日本は1930年代には原子力の潜在性に関する研究で最前線にいたが、原子力をエネルギー安全保障や経済発展の鍵となるエネルギーとして政策に盛り込むべく行動を開始したのは1952年のことであった。この位置付けは、サンフランシスコ講和条約の下における日本の主権に関する米国の認識に起因するものであった。日米安保条約とこの条約は、米日同盟および同盟が目標とする太平洋地域における平和と繁栄の維持を確実するものであった。

1955年に日本で原子力基本法が可決され、日本は平和利用以外の目的で原子力を利用しないことが宣言された。1年後、原子力開発を推進するために原子力委員会が設立された。日本の原子力産業は2国間協定に基づいて管理され発展した。後に原子力技術の保護に責任を有する様々な省庁が加わった。米国は原子力産業におけるリーダーとしての日本の発展を主導してきた。最初は原子炉技術を提供し、核燃料輸送を規制した。その後ともに発展を目指す国として世界的な原子力技術の保護を構築してきた。

原子力の安全性を日本国民に納得させることは難しいことであったが、日本の戦後経済の発展と低コストのエネルギーミックスを実現させるためには必要不可欠であった。政府は日本の民生原子力の絶対的な安全性に関する幅広い信頼を得るためのキャンペーンを開始した。それは現在「原子力神話」として知られている。国民の信頼によって全国的な原子力展開が図られた。

日本は早期から原子力の民生利用を推し進めてきたが、1973年の石油ショックによって海外エネルギー源への依存がリスクを拡大することが明らかとなり、原子力に対する信頼がより高まった。それ以来、日本の原子力投資は戦略的な優先事項となった。日本の原子力産業界は世界の技術リーダーとしての地位を確立し、いかに原子力を安全に利用することが国家の発電に寄与するかを示す見本となった。

沸騰水型炉の原型炉である動力試験炉(JPDR)は1963年に発電を開始した。この経験と理解を通じて将来の商用炉開発に向けての知見が得られた。1976年に運転を終了し、その後動力試験炉の廃炉を通して、日本は民生用原子力発電所の廃炉の知見を得られるようになった。

日本初の商用炉は東海発電所であった。イギリス製の160MWeガス冷却炉は1966年7月に送電を開始した。その後、日本が導入したのは、濃縮ウランを使用する沸騰水型原子炉(BWRs)または加圧水型原子炉(PWRs)の軽水炉(LWRs)のみであった。最初の3軽水炉が1970年代に送電を開始した。

日本政府および日本国民は環境保護を国の最優先事項の一つとして掲げている。日本は1997年の京都議定書の批准を推し進めた。その中で二酸化炭素を排出しないエネルギー源である原子力の推進を図ることで炭素排出量を大幅に削減することを約束した。2002年3月、エネルギー計画において、将来の原子力比率上昇を発表した。2011年までに9~12基の新規炉を建設することによって10年計画では原子力比率30%を目指した。しかし、世界的な経済影響によってこの目標達成は不確かとなった。1997年に始まったアジアの通貨危機 によって日本の経済成長は鈍化した。2008年の世界金融危機によって米国や欧州の購買力が削がれたため、日本は比較的円高となり輸出時における日本製品の価格上昇に繋がった。

2011年までに、運転を開始した新規炉は5基のみであった。2011年初めに日本には運転中54基、建設中2基、計画中12基の原子炉があった。

福島第一原子力発電所事故

3月11日に震災が発生し、震源地に最も近い4サイト11基の原子炉が自動的に停止した。原子炉は設計どおり核分裂を停止した。翌日午後7時03分、福島県にある東京電力福島第一原子力発電所は原子力緊急事態宣言を発令した。地震発生時に1、2、3号機は運転中であった。非常用ディーゼル発電機が起動し原子炉内の残留熱が冷却されたが、津波によって引き起こされた洪水によって原子炉建屋の壁面が壊れ、非常用ディーゼル発電機が破壊された。

>>タイムズ紙の 「日本の原子力危機を4分間で説明」参照

原子力エネルギー

菅直人首相は半径3キロ圏内の住民に対して避難を指示したが、半径10キロ圏内の住民に対しては室内に留まるよう指示した。3基の格納容器内圧力は上昇し続けたことから2日目に東京電力の経営層は予防措置として格納容器(PCVs)のベントを実施した。格納容器の圧力が上昇し続けていることは、予期せぬ事態が発生していることを意味していた。

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3月12日、1号機の水素爆発によって建屋外壁が破壊され、4名が負傷し放射性ガスを放出する事態となった。その結果、避難区域が20キロ圏内まで拡大された。3月14日、3号機の爆発によって11人が負傷し、使用済燃料プールがむき出しの状態になった。3月15日、2号機の圧力抑制プールが損傷し、4号機では原子炉建屋の爆発と火災が起こった。損傷を軽減する作業が翌週以降も実施された。3月31日、原子力安全・保安院(NISA)は、事故による放射能濃度上昇により、プラント排水口付近のサンプル水の値が安全上限値の4,385倍となっていることを確認した。プラントから放射性物質が漏えいする汚染水の問題が発生していたことが後になって判明した。

「高濃度の放射性物質が放出された期間は比較的短く、海岸線が開放型であることによって放射性核種が急激に海水に流入することとなった」とBiogeosciences Discussionsに記載されている。「2011年6月放射性濃度の減少が緩やかになり、比較的高レベルの放射性物質が存在していることによってプラントから継続的に放射性核種が放出されていることが明らかとなった」。放射能濃度が上がったのは、1、2、3、4号機の取水口付近である。

福島の炉心溶融は国際原子力事象評価尺度のレベル7に位置づけられた。これは一番高いランキングであり、1986年に発生したウクライナのチェルノブイリ原子力発電所事故と同じレベルである。しかし、福島事故の場合、チェルノブイリ事故で放出された放射能の約10%しか放出されていないと想定される。2014年2月現在、津波による死者は15,884人であるのに対し、福島事故に関連する直接の死者は出ていない。

>>福島事故から世界が得た教訓はこちら。

福島事故による経済余波

福島事故が日本の原子力計画と日本経済に及ぼした影響は甚大であり、福島事故による災害は1,000億ドルと早い段階で見積もられた。福島第一原子力発電所では4基が冷温停止したものの、東京電力の事故対応と当該事象緩和のための準備ができていなかったことが政府や原子力専門家、メディア、国民から非難された。

1年ほど経過した2012年5月に、日本の54基の原子炉は全て停止することとなり、直後に政府は、東京電力を破産させず東京の全人口を含む4,500万人の顧客に電気を送り続けることができるよう1兆円(125億ドル)の資本を投資することに合意した。救済の中核となる部分や10年再建計画は東京電力が部分的に国営化されることの条件であり、政府は東京電力の株式の半分以上を取得し、将来の所有権を拡大するためのオプションを獲得した。さらに、東京電力は20キロ圏内の警戒区域に住んでいた住民に対して完全賠償を行い、それによって議論を巻き起こし、社会的な亀裂を悪化させることとなった

原子力発電ができなくなったことによって、日本の電力会社は発電を続けるためにその他の電源を使用せざるを得なくなった。電力会社の多くは液化天然ガス(LNG)の輸入に切り替えた。METIの専門家によると、この原子力からLNGへの切替は年間370億ドル以上のコスト上昇要因になったと想定しており、これはGDPの約0.7%に相当する。METIはまた、原子力が閉鎖中の発電電力量を維持するためには電気料金を15%値上げしなければならないとも述べた。2012年9月、TEPCO は電気料金を8.5%値上げし、販売電力量を9.9%増加させた。

2012年までに、日本は世界最大のLNG輸入国となった。2013年に日本はLNG輸入量が8,700万トンとなり、過去最高額の689億8千万ドルを支払った。常に高い燃料コストを支払い続けたことによって2013年の貿易赤字は1120億6千万ドルとなり、2012年に比べて65%以上赤字幅が大きくなった。2012年に日本は3年連続の貿易赤字を計上した。

再稼働に関する議論と日本の原子力の将来

福島事故後、2012年9月に日本政府はNISAと原子力安全委員会を原子力規制委員会(NRA)へと再編した。NRAは、NISAが置かれていたMETIの管轄ではなく、環境省の管轄として組織された。利害が対立する懸念を払しょくするためであった。新たに組織された原子力規制委員会の最初の仕事は、原子力発電所に適用する新規制基準と原子力災害対策指針を策定することであった。これらには、発電所が新規制基準の適合を申請する前に満たさなければならないタスクや基準が規定されていた。

NRAは2013年に新たな原子力災害対策指針を発表した。 要求事項は以下のとおり。

  • 原子力事業者は発電所とは別の場所に第二制御室を設置しなければならない。
  • 水素再結合器を設置しなければならない。
  • 地質学者およびその他専門家を招聘し原子力発電所の敷地が40万年前まで遡って断層が動いていないことを証明しなければならない。
  • 放射性物質放出を緩和するためフィルターベントを設置しなければならない。

この新たな基準に適合させるためには、プラント1基当たり7億ドルから10億ドルの費用がかかることが予想される。2014年3月現在、おおよそ123億ドルが費やされた。

いくつかのプラントが安全審査に申請しているが、ロイターの最近の分析によると、多くのプラントがこの厳しい検査に合格しないだろうとのことである。報告が想定しているのは、原子力は日本の発電電力量の10%以上の比率にはならないだろうということである。

原子炉再稼働の議論は政治色が濃くなってきている。福島の炉心溶融から数カ月後の2011年7月、2050年までの日本のエネルギーの将来についての提言を行うためにエネルギー環境会議(Enecan)が組織された。具体的な役割は、日本全体の発電電力量における原子力の比率を中期的に0パーセント、15パーセントまたは20~25パーセントのいずれにするか決定することであった。2012年9月、Enecanは2040年までに日本が段階的に原子力を廃止する勧告を発表した。この勧告は与党である民主党(DPJ)の承認に合致していたが、自由民主党(LDP)はこれを実行不可能であるとして非難した。約1週間後、勧告は「参考文献」だとしてDPJに支持された国会はスタンスを変えた

同年12月、LDPは衆議院選挙で圧勝し政権についた。そして原子力発電所再稼働の支援を表明した。2013年7月の選挙の後、LDPは参議院でも勝利し、同年後半にはエネルギー基本計画のドラフトを発行し、原子力は経済回復と気候変動対応の双方において重要であるとした。

2014年2月、NRAは原子力発電所の安全審査におけるfast-track計画を発表した。田中俊一委員長は、これによって2014年度中には何基かが再稼働するだろうと述べた。

このように状況が進展している中で、福島第一原子力発電所のサイトでは可能な限り効果的に損傷と汚染を緩和すべく作業が継続されている。原子炉内でどの程度燃料が溶融しているか確認する研究が続いている。一方、東京電力はできる限り原子炉からデブリを除去する作業を継続しており、2015年8月には3号機から大きなデブリを除去することに成功した。9月にも福島第一では大きな進展があり、漁業組合の承認を得た後に排水システムが運転を開始した。このシステムはサイトから流出する汚染水を海洋放出する前に処理するシステムである。

さらに、国は原子力事故の影響を受けた人々の生活を通常に戻すべく努力を続けている。2016年4月末までに、日本政府は福島県南相馬市に対する避難指示解除を想定している。この計画が実現できれば、1万人を超える住民が故郷へ帰還する機会を得ることができるだろう。

>>福島事故から5年を迎え専門家が述べるべきことは何か?「福島からの教訓」独占インタビュービデオシリーズをご覧ください<<

原子力への回帰

最終的に、日本政府はエネルギーミックスにおける原子力の重要性を認識することによって、再び原子力推進国となった。数か月かけてエネルギー計画を作成し、2015年4月に最初のドラフトを発表した。この最初の提案は、2030年のエネルギーミックスに原子力を含めるべきと提案していることから議論を巻き起こし、続く数カ月間研究と議論が行われた。この発表は、METIが将来の想定発電コストを発表した翌日に発表された。METIは原子力による発電コストが10.1円/kWhと2030年までで最も安いコストであると発表した。

続く数カ月間、計画に対して綿密な調査と改訂が行われた。2015年6月、ドラフト案では原子力は2030年までにおける発電電力量の20~22%の割合と決定され、総合資源エネルギー調査会によって承認された。METIが計画を正式に承認した7月以降、1カ月間パブリック・コンサルテーションが実施され、将来の発電における原子力の割合は最大22%となることが繰り返された。日本は現在、福島事故前と比べて低い原子力の割合を目標としており、再生可能エネルギーの割合を高めることを期待している。この目標は、重要で現実的で日本のエネルギー自給率や持続可能性にとって要となるものである。

この目標を達成するため、NRAは現在のところ25基に対して安全性、設計、運転などすべての側面からレビューを行うため長期的なプロセスを始めた。日本政府は原子力再稼働に向けて野心的なスピードで進めていくことと可能な限り安全な方法で進めていくことの双方のバランスを取ろうとしている。レビュー中の原子炉のうち、現在5基が運転許可を得ている

2015年8月11日、九州電力株式会社の川内原子力発電所が再稼働し日本で最初に再稼働する原子力発電所となり歴史的な幕開けを飾った。一連の検査に合格した後、7月に燃料が装荷された。 再稼働に続き、プラントは1カ月間に渡って 着実に運転を続けた。唯一海水を運ぶ復水細管5本に小さな傷が発見されすぐに保修するという小さな不具合が発生したが、再稼働はおおむね成功した。2015年9月10日、川内1号機はNRAの検査に合格し、フル出力となり送電開始を始め正式に営業運転を開始した。

(本記事が発行された時点で)日本には43基の運転可能な原子炉があるが、九州電力川内1、2号機890MWと関西電力高浜3号機870MWのみが正式に運転可能な原子炉である。しかし、2016年3月9日の大津地裁による高浜3、4号機に対する運転差し止め決定を受け、高浜3号機は一時的に運転を停止している。高浜4号機は2016年2月に再稼働したが、技術的な問題によってすぐに原子炉停止の状態に戻った。仮処分の決定が覆らない限り、2基は運転ができない状態が続く。2016年3月23日、新規制基準への適合性に係る工事計画認可を受領した四国電力の発表によると、890MW PWRの伊方3号機の営業運転を早ければ2016年7月に再開する計画である。